死がふたりを分かつまで 5

さて、前回の続きです。

前回は男女のコミュニケーションについて、主に女性が気をつけるべきポイント「批判」についてお話いたしました。

今日は、残り二つのポイント「防戦」と「見下し」についてお話しようと思います。

 

まずは防戦についてからでしたね。

「防戦」は文字通り自分の立場や言い分を主張することを意味します。

例えば「またゴミを出し忘れたでしょ!なんであなたはいつもそうなの?」という批判に対し「仕事が忙しいから、そういうことにかまっていられないんだ。」とか「お前が一言かけてくれれば良かったじゃないか」といった発言が防戦にあたります。

ところが、男性が取りがちなこの作戦が効果を現すことは「まず無い」のだそうです。

「自分の立場や言い分を相手に伝えればいいと思うのは大きな間違いです。

あなたは5回言って聞かなければ10回、それでもだめなら100回、同じことを繰り返すことになりますが、たとえ100万回繰り返しても、相手がひれ伏して自分の非を認めることはありません。

なぜなら相手は、自分が責められていると感じるからです」と博士は述べています。

 

結局、この時点で会話は口論へと発展してしまいます。

そして、「批判」と「防戦」の応酬が繰り返されると、次に登場するのが「見下し」です。

 

「見下し」とは、相手をあざ笑う、皮肉や嫌味を言うなど、さまざまな形をとります。

「専門家だってみんなそう言ってるよ」とか「君の言うことは理屈が間違っている」など自分の正しさを主張するのも、そのひとつですし「そんなの馬鹿げてる」とか「自分がどれほど最低かわかってるの?」などと自分のほうが頭が良いかのように振舞うのも見下しです。

 

中でも、ゴッドマン博士が思わず感心してしまったのは「相手の文法のミスを指摘する」といったものでした。

また「誰のおかげで生活できてると思っているんだ」という絶対に相手が反論できない切り口での「見下し」は、「あなたを対等な人間として扱うつもりはない」とのメッセージを届けることになり、効率よく信頼関係を破壊できるそうです。

 

いずれにせよ「見下し」は会話をぶち壊す決定打だと言われています。これが出ると、もはや最初のテーマはどうでもよくなり「口論に勝つための口論」へとステージが変わってしまう。

そして「見下し」が頻繁に登場するようになると、人は家庭の外に信頼できる人物を探し始めます。

悩みや問題があっても、もはや家庭で話し合われることは無くなり、関係の崩壊がはじまるのです。

 

 

では、長年連れ添っても愛情の薄れないカップルの会話には「批判」や「防戦」「見下し」が登場しないのでしょうか。

「そんなことはありません。結婚生活の達人たちの会話にも、それらは出現します。

しかし結婚生活が破綻するカップルと、結婚生活の達人たちでは決定的に違う所があるのですよ」結婚の達人たちは、口論の途中で「冗談を言う」「変な表情を作り笑いを誘う」あるいは「言いすぎだったよ」と言うなど、会話がそれ以上悪い方向にエスカレートするのを防ぐ、小さな「修復の試み」を行っていたのです。

「興味深いことに、結婚に失敗する人と成功する人の差は最初は小さなものです。ところが、会話の仕方のちょっとした違いが積み重なることで夫婦関係の亀裂は深まってしまいます。離婚に至るカップルを調べると、そのパターンは恐ろしく似ているのです。」と博士は締めくくる。

 

 

女性は「批判」をしないことで、男性の「防戦」を防げますし

男性は「批判」を「防戦」で返さないように「まずは相手の言っている事を認める」努力すべきなのでしょう。

「見下し」が現れることを防ぎ、「修復の試み」をすることで、愛情は長続きするのだと、博士は述べています。

 

 

この研究を知ってからは、自分の言動に取り入れています。

そもそも短気な性質で、しょっちゅう腹を立てては、終戦工作に四苦八苦するはめになるのが常でしたが、多少ましになったかな?と思っています。

個人的意見ですが「ありのままの自分」や「本当の私」を、あまり重要視しない方が良いんじゃないかと思います。

他人に「ありのままの自分」を押し付けることのできる人、というのは例えばイチローのような達人にのみ許された行動ではないでしょうか。

自分は未熟な人間ですから、「本当の私」を誰かに丸ごと受け入れてもらえるとは思いません。

変化を続けるのが「本当の私」なのかな、と。

自分を変える努力をせず、相手に受け入れる努力を強いる関係というものは、エネルギーに溢れた「恋」の状態では維持できても、一生は維持できませんから。

世界の研究者が、莫大な金と時間を使って手に入れた教訓、「本当の私」に取り入れない手は無いでしょう?

 

五回に渡って長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

「死が二人を別つまで」おしまいで、ございます。