「幸せ」って何ですか? 10

みなさん、お久しぶりです。

あっという間に年末になってしまいました。

まだ11月ですが、すごい一年でしたね。

2月から始まったウクライナ侵攻。

残酷な映像、究極の不幸を凝縮したようなニュース。

こんな時に幸せなんかを話題にするのはポリコレ的にどうなのかと思って躊躇してたんですよね。

そしたら、7月8日の安倍元首相銃撃事件。

幸せについての最後の話題は「瞑想」

どうしても宗教を連想してしまうので、これまた書きにくくなったなぁと。

 

でも、どんな状況でも自分を幸せする技術は役に立つのです。

仮に自分が死の淵にいたとしても。

仮に家族が殺されたその日であっても。

 

そして、今回お話する「瞑想」の話は宗教とは全く関係ないです。

スピリチュアル系も自己啓発セミナーも一切関係ないです。

ご利益も関係ないですし、魂が浄化されたり、宇宙と一体になる話でもありません。

いや、実は現在の科学では解明されてないだけで、瞑想するとあの世でご先祖様が喜んだり、なんかこう偉大な感じのサムシングと一体になるかもしれませんけど、それは僕の守備範囲ではないですし、僕が何かの信仰をすすめることも一切ないです。

そして、あなたが何か信仰を持っていたとしても別に否定したり、馬鹿にもしません。

僕が話すのは純粋に精神医学や心理学としてのお話です。

それでは始めましょう。

 

 

10:瞑想する

これまでのシリーズで登場していただいた多くの博士達が瞑想の有効性を説いています。

日本精神科医学会でもマインドフルネス瞑想や自律神経訓練法という名前で、瞑想が取り上げられることが増えました。

マインドフルネス瞑想はマサチューセッツ大学医学部のジョン・カバット・ジン教授が、

自律神経訓練法はドイツ、イェーナ大学医学部のヨハネス・ハインリヒ・シュルツ教授が、

それぞれ開発した方法です。

どちらも抗不安効果があるという報告や、うつ病の再発予防に効果があったという報告があります。

一方で適切な指導の下で実施されないと、うつ病や不安を悪化させるという報告もありました。

良し悪しはあっても、瞑想が我々の心に影響するのは間違いないようです。

 

 

どのように心に影響するのか。

瞑想ってのは、基本的に「心のニュートラル」を経験する作業です。

どういうことかって言いますと。

 

例えば車の運転。まずはギアはニュートラルでしょ。

それから運転手はシフトを操作して、ドライブなりリバースなりにギア入れて動き出すわけです。

ボクシングでは、パンチの練習をする前に構える練習をする。

攻撃でもなく防御でもない、ニュートラルな状態をまず練習するわけですね。

卓球やテニス野球でも、まずは道具の持ち方や構え方を練習するでしょ。

なんにしても、まずニュートラルとか中立とかいった状態を知らないと技術は学べないわけです。

 

ところが、心のニュートラルは誰も教えてくれない。

学校の授業にはありませんし、テストにも出ません。

誰もが、美味しい物食べた~幸せだ~。上司に怒られた~辛い~。

そんな風に、外からの刺激に反応して心を動かしています。

 

ニューヨーク、ロバートウェズリアン大学のジョエル・フマンズ博士によると、人間は一日35000回の選択をしているそうです。

何を食べる。何を着る。トイレに行く行かない。今何時。あと何分。などなど。

我々は日々膨大な数の思考をし、ちょっと良いとか、すごい悪いとか判断しています。

心は中立になることなく、イライラしたり、喜んだり、あちらこちらへと彷徨うのです。

 

 

イライラし始めると、他の事にもイライラしてしまうって経験ないですか?

 

「ああ、また子供達が靴下脱ぎっぱなしだわ。何回も言っるのに。テストの成績だっていまいちだったわ。どうなってるのかしら。塾だって行かせてるのに。○○ちゃんはもっと高い塾に行ってるって言ってたわ。高い塾の方がいいのかしら。お金かかるわね。まったくうちの旦那は稼ぎがないんだから。こんなんじゃ子供達の未来は真っ暗だわ。ああイライラする。なんて人生なの!」

 

これ、靴下が落ちてただけですよね。

靴下から人生の絶望まで広がりました。

幸せとは言い難いですね。

心のニュートラルを意識する練習をしていないと、感情の連鎖が人生をややこしくしてしまいます。

 

マインドフルネスにしろ、自律神経訓練法にしろ、「いまここ」「あるがまま」というキーワードが良く出てきます。

「靴下が落ちていた」は現在です。

「テストの成績がいまいち」は過去です。

「子供達の未来は真っ暗」は未来です。

「旦那の稼ぎが悪い」は靴下が落ちている話ではありません。

「なんて人生なの!」も靴下が落ちている話ではありません。

 

「いまここ」に「ある」のは「落ちている靴下」です。

人生を悲観する必要、あります?

必要なのは、どうしたら靴下を脱ぎっぱなしにしないようにできるか。という思考です。

子供達にお願いするべきなのかもしれないし、洗濯カゴの位置が子供達の動線から外れているからかもしれません。

そもそも拾って洗濯機に入れるだけの話で、問題視する必要も無いのかもしれません。

 

「靴下が落ちていた」この現実にイライラするのを一次苦痛といいます。

一次苦痛の後に思考の結果生み出された「なんて人生なの!」を二次苦痛といいます。

一次苦痛は生きている限り仕方ないです。毎日降りかかります。避けようがない。

ですが、二次苦痛は自分が生み出しているんです。

うつ病を再発しやすい人は、この二次苦痛を生み出すのが大変上手。

自分で自分を切りつけていらっしゃる。

 

瞑想をすることで、怒りや絶望といったネガティブな感情に支配されずに二次苦痛が減り、現実的で建設的な思考ができるようになるという仕組みです。

なるほど、うつの再発や不安の改善に効果があるのも納得です。

 

 

落ちている靴下でさえも建設的な考えが出来る。

きっと、お金の使い方や家族とのコミュニケーションにも建設的な考えが出来るでしょう。

一日二日では何も変わりませんが、10年後の生活に大きな違いが出るのです。

「幸せって何ですか?1」でも書きましたが、成功した人が幸せになるのではなく、幸せな人が成功する。というわけですね。

 

 

しかし、うつや不安が悪化した人もいました。

なぜ? 

冒頭で、瞑想は心のニュートラルを経験する作業だ。と述べました。

心のニュートラルを「探す」のでもなく「手に入れる」のでもなく「経験する」のです。

「探す」とか「手に入れよう」とすると上手く行かないんですね。

ここらへんがややこしいわけですが、次回説明いたします。

 

それではまた。